KeiYamamotoの雑記

考えたことや見て聴いたことを綴ります

KCOニューイヤーコンサート

室内オーケストラによる、目にも耳にも楽しい演奏会であった。

紀尾井ホール室内管のニューイヤーコンサートへ。ライナー・ホーネックの指揮&ヴァイオリンで賑やかに執り行われた。ホーネックの演奏会を聴くのは、2020年2月以来。コロナ禍による演奏会中止騒動直前のこと。爛熟したホーネックのヴァイオリンに、身も心もとろけた夜であった。それから4年の月日が経つ。紀尾井ホール室内管のコンサートも久しぶり。なかなかタイミングが合わなかったが、私の体調が思わしくない中、なんとか行くことができた。

前半はホーネックのソロが際立って見事であった。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を、明るい音で、艶やかに品よく仕上げる。自在にオーケストラを制御しながら、ソロをこなす様に、弾き振りの妙味を感じる。これだけでもかなりの満足度であった。

後半は様々な小品を賑やかに演奏した。紀尾井ホール室内管の鮮やかな音を見事に引き出した《ばらの騎士》のワルツから始まり、コルンゴルトを暗い音色で渋く仕上げる。バラホフスキーもソロを弾く場面があったが、難なくこなしていた。シュトラウスファミリーになると打楽器が大活躍し、新年らしく趣向を凝らしながらお客を楽しませる。客席も盛り上がっていた。

アンコールになると、それまで真面目に演奏してきたオーケストラも踊るように演奏する。新年らしい、愉快な演奏会になった。

八面六臂の活躍を見せた打楽器隊に拍手。

 

小泉/神奈川フィル、金川真弓

金川真弓の均整の取れた美しい演奏に魅了された。

小泉和裕指揮神奈川フィルの定期へ。私の体調が悪化したため、前半だけで失礼させて頂いた。感染症ではないし、演奏が悪いわけでも無いので念のため。

金川アポロン的な美しさを持つ演奏が、前半の最大の聴きどころであった。金川はとにかく一音一音を正確な音程で、粒立ちよく演奏し続ける。ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、ともすると勢いだけで始末してしまう演奏が散見されるが、金川はそのような小細工は一切しない。第2主題すら、感情の発露は必要最低限に留め、バランスを意識して演奏する。和音を丁寧に鳴らし、音階もしっかり聴きとれる速さで弾く。このように演奏することで、ブラームスの協奏曲が持つ均衡の取れた美しさが際立つ。それでも、凡庸には陥らず、ブラームスの音楽が持つ愉悦も表出させる。卓越した技量と音楽性がある証拠である。ブラームスの協奏曲の構造を明確に教えてくれる、見事な演奏であった。小泉和裕による、安定した指揮もそれに寄与した。指揮者とソリストの相性も抜群であった。

金川真弓はまた聴きたい逸材である。次回がいつになるかわからないが、是非もう一度ブラームスの協奏曲が聴きたいと思ってしまった。

N響2024-25

N響の2024-25シーズンプログラムが発表された。

ブロムシュテットは充実の3プログラムを指揮する。Aプロはコロナ禍で中止になったオネゲルブラームスをもう一度。Bプロは渋い北欧プログラム。Cはシューベルトから未完成とグレート。期待せずにはいられない見事なプログラムになっている。

今期はN響の奏者がソリストになる機会も多い。パーヴォの近代物も楽しそう。ソヒエフのレニングラード等、大曲も多い。こんなに渋くてワクワクするラインナップを見たのは久しぶりである。

来シーズンのN響に期待したい。

https://www.nhkso.or.jp/news/24-25_programs.pdf

2024年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

昨年は大変な一年でしたが、なんとか切り抜けて参りました。今年も良い年になるように頑張ります。

皆々様のご健勝をお祈りしますと共に、2024年が素晴らしい年になりますよう願っております。本年もよろしくお願い致します。

2023年振り返り

2023年も残すところあと数日である。今年一年の感想は、疲れたという一言だけである。

今年は期末の課題をこなすところから始まった。そして4月から始まる新年度。春休みに体調を崩していたので、開始からかなり体と心に鞭を打つ日々になった。学校で受けている支援は充実しており、素晴らしい先生方の授業も面白い。何一つ不満は無いはず。しかし病気で上手く物事をこなせない。一応形にはできているのことがほとんど。それでも、もっとできるはずという思いが、焦りを生んでいる。それが結果として不満足の原因のようだ。来年は卒業に向けて、卒業論文の執筆が待っている。なんとかしないといけないところ。

今年は2月に大阪、3月に那覇、8月に那覇久米島、11月にソウルへ旅をすることができた。外国は10年くらい行っていなかったため、久しぶりのカルチャーショックであった。大阪や沖縄という、関東から離れた文化圏に何度か行けたのが幸い。大阪の食文化の多彩さは今までの大阪の見方を変えるものであった。何よりも何度となく足を運んだ沖縄は、私にとって大事な場所。沖縄は私にとって社会を眺める窓口である。遠く琉球王国に思いを馳せる時間となった。

コンサートにも足しげく通った。体調不良で行けなかったコンサートは数知れず。ブロムシュテットの来日が無く、恒例行事が無かったのも悲しいところ。マエストロの無事と復帰を願う。それでもパーヴォ・ヤルヴィアンドリス・ネルソンスなど、ヨーロッパの第一線で活躍するアーティストの演奏が聴けたのは幸いであった。今年は大変豪華な年で楽しかった。来年も様々予定されている。行くコンサートを厳選しながら、日常を送りたい。

今年は私自身、体調不良に悩まされた年であった。調子は変調を繰り返している。世界情勢は緊迫し、国際社会の崩壊を目の当たりにした年にもなった。大変な年であったが、来年は少しでも状況が改善されることを祈る。生きとし生けるもの全てに安寧の世が訪れることを願って。

メジューエワ

メジューエワの気迫に圧倒されるリサイタルだった。

イリーナ・メジューエワ東京文化会館小ホールにてリサイタルを開催。「ショパンの肖像」シリーズ第2回であった。

メジューエワは強靭な打鍵により、強力なffを生み出した次には、極めて繊細なppを作り出す。音楽を細かくコントロールできる高い技術力に裏打ちされた、細部まで計算された解釈を披露した。響きは極めて煌びやかであり、スタインウェイのピアノの持つ力を最大限引き出していた。

民謡の引用から、過去の作曲家の要素まで、ショパンの楽曲には多様な顔がある。メジューエワの演奏は、ショパンのどのような面でも最大限の効果を引き出す。技術も解釈も充実した時期に入っていることが感じ取れる。

見事なリサイタルであった。次回も楽しみに待っている。今後とも益々注目が必要なアーティストのようだ。

スダーン/東響

スダーンの底力を見せつけられる演奏会であった。

ユベール・スダーンが東響を指揮した。今回のプログラムは編曲物。一風変わった取り合わせだが、スダーンがどう扱うか気になり、期待して足を運んだ。

前半から切れ味のよいシューマン。今回もマーラー編曲版を使用して演奏していた。スダーンはマーラーの編曲だからと言って、それを強調するようなことが少ない印象。前回のCDで聴ける演奏では、テンポもアクセントもかなりアグレッシブだった。今回はテンポ変化が極めて自然で、音楽の流れがシューベルトのような伸びやかさを備えていた。それによりコーダ手前で、ふくよかな弦楽合奏を聴かせることに成功していた。あれは脳天まで突き抜ける美音であった。スダーンの指示は相変わらず細かい。第4楽章のフルートのカデンツでも、普通なら奏者に任せるが、スダーンは細かく音量を指示していた。リハでかなりオーケストラを締め上げたことは容易に想像がつく。

後半もスダーンのこだわりが感じられる演奏であった。弦楽が極めて煌びやかに鳴り、第3楽章の鮮やかさは信じられないレベルに達していた。クラリネットを筆頭に、木管が際立って艶やかに聞こえてくる。第4楽章でロマの音楽を賑やかに奏でるオーケストラ。切れ味抜群の愉悦を感じる。コーダに近づくと、スダーンは完全にブラームスのことを忘れているかのように、打楽器を主体とした、シェーンベルクの音楽として指揮していた。

今日はオーケストラを聴く楽しさを実感する日になった。またスダーンのこだわりが満載な演奏会を聴ける日を待ち侘びている。