KeiYamamotoの雑記

考えたことや見て聴いたことを綴ります

ホーネック/菊池

世紀の狭間で生きた作曲家たちの佳作を、上品な演奏で聴いた。

ライナー・ホーネックと菊池洋子による演奏会。東京文化会館小ホールにて開催。私の東京春音楽祭は、このコンサートにて開幕を迎えた。

前半はモーツァルトシューベルト。両名とも、まろやかで暖かみを感じる音で一貫していた。その中で、18世紀から19世紀に移り変わる時期に、ウィーンで活躍した作曲家の音楽語法が展開された。

後半はコルンゴルトブラームス。こちらも同じ音質で演奏された。コルンゴルトによる重工業の匂いがする音楽と、ブラームスの艶やかな音楽が奏でられる。19世紀から20世紀の転換点で、ウィーンを生きた作曲家の足跡を辿ることになった。

拍手に応えて、アンコールという名の第3部が始まった。クライスラーの作編曲が次々と繰り出されてゆく。ある意味コルンゴルトブラームスの橋渡しと言えるだろうか。途中でシューベルトを挟んだりと、洒落た趣向に会場は大盛り上がりであった。

本日一番の出来はコルンゴルトだろう。こんなにコルンゴルトが楽しいとは思わなかった。そのような発見があるコンサートであった。

東京春音楽祭は始まったばかりだが、毎年新たな発見があり、面白い。今年はどんな展開があるだろうか。期待している。

浅草演芸ホール

今日は人が少なく、穏やかな寄席であった。

浅草演芸ホールへ。今日は随分寒い浅草であった。

今日は調子があまり良くない。そのため大笑いすることは少なかったが、充分楽しめた。古今亭寿輔の静かに笑いが来る落語が最高。浪曲もあったが、こんなに浪曲が笑えるものだとは知らなかった。

新しい発見もある1日であった。寄席はたまに行くと楽しい。

 

『観光コースでない 沖縄 第5版』

日本にとって「沖縄」とは何か。そのことが常に問われている。

新崎盛暉 諸見里道浩 謝花直美 松元剛 島袋良太 前泊博盛 亀山統一 仲宗根將二 大田静男 2023 『観光コースでない 沖縄 第5版』 東京:高文研

こちらの本を読了。日本の暗い歴史を見ることになる。そして自分の心に楔を打ち込まれるような気分であった。沖縄の歴史から、現代にいたる諸問題を、戦跡/基地/経済/自然/先島の切り口で紹介する。基本情報がまとめられており、「沖縄問題」について学ぶ足がかりとして最適であろう。最新情報を反映した第5版は全面改訂がなされており、最近の自衛隊基地拡張についても紙幅を割いている。半世紀で四度の改訂を行わなければならないほど、沖縄の現代はあまりに様々な問題が起きている。この本を貫く問いは、「日本」にとって「沖縄」とは何であろうかということになる。このことを考えなくてはならないのは沖縄の方々ではない。私を含めた、「本土人」である。

暗い話が多いが、経済の項目で、東南アジアの経済交流の中心地としての沖縄の可能性に触れている。この夢が実現することこそ、沖縄の明るい未来なのだろう。

上岡/NJP

上岡のこだわりを感じる時間であった。

久しぶりにNJPのコンサートを聴きに、錦糸町へ向かった。前半はケフェレックのソロでベートーヴェン。ケフェレックの演奏は独特の暖かみがあり、安心して聴いていられる。アンコールを含め、豊かな時間であった。

後半はシューベルト。繰り返しは省き、50分くらいの演奏時間になった。上岡は木管のアンサンブルを前に出しながら、時折奇抜に進めてゆく。第2楽章でそれは顕著だった。D944はいかに木管の響き、特にクラリネットファゴットによって成り立っているかを、上岡は克明に描き出した。D944はリズムの権化でもあるのだが、上岡の時折感じる不思議なフレーズ処理によって、目立つようになる。第4楽章コーダでそれは頂点に達し、C音の連打はオールダウンではなく、普通に上げ下げすることにより、レガート気味になっていた。これにより、それまでの熱狂に不気味さを加味することに成功していた。そして最後の和音をディミヌエンドして終わる。コーダだけでも、何とも言えない後味の苦さを残した。これは決して悪いことではなく、そのような解釈も可能なことを上岡は示したのである。

上岡により、D944の解釈の可能性を見せてもらった気がした。それだけでも、今日は行って良かったと思う。

26歳

26歳の誕生日を数日前に迎えた。何とかここまで来れたことを感謝している。お世話になった方々にも最大限の御礼を申し上げる。

たまたま沖縄滞在時で、スケジュールも合ったため、知り合いの経営するビストロで誕生日を祝った。私は一人で行ったが、先方が暖かく迎えてくれた。ここの沖縄県産食材を使った料理は美味しい。店が一段落した後、先方と長々話し込んでしまった。祖母が主な窓口なのだが、もう30年の付き合いになる。先方は皆さまお元気とのことで、安心した。

26歳も無事に過ごせることを願っている。

沖縄2024

南海の麗しき島は、いつも通りであった。

3/6-11で那覇恩納村へ行った。前半は一人で那覇を見物し、後半は父と恩納村でゆっくりした。あまり天気がよくない中、那覇へ。飛行機はそれなりに揺れた。それでも那覇空港に着いた時の安心感は何物にも代えがたい。

今回は馴染みのそば屋を2軒、お初のそば屋を4件食べ歩いた。店のこだわりポイントが違うため、全く味が異なる。それがなかなか面白いところではある。牧志公設市場でミーバイの持ち上げもやってみた。刺身とバター焼きにしたが、天下の美味であった。やはりハタ科の魚はすごい。別日には、何回も訪問している飲み屋で古酒を飲んだりもしたが、こんなに落ち着いて過ごせる飲食店もそんなに無い。

沖縄に来るとついつい沢山買いすぎてしまう。琉球菓子はいつも、新垣カミ菓子店で購入するが、儀保の店が移転していた。100mくらい離れた道路沿いに新店舗はあったが、ぴかぴかになっていた。壺屋は焼物の街だが、ここではついついシーサーを買ってしまった。

マングローブの湿地を見たり、波の上ビーチへ行ったりと、那覇市内の自然にも触れた。ちょうどブーゲンビリアが満開で、どこでもきれいに咲き誇っている。

中国との交流による文化も、今回多く触れた点である。おなじみとなった、久米の孔子廟へのお参りも欠かしていない。私の学業の平安をここで拝むのは相変わらず。首里城の復元工事は順調で、木組みが形となっていた。完成は2年半後だが、工法が複雑なため、間に合うかは不透明。今回は「中山弟一」と書かれた石碑の存在に気付いた。ここは中山王がいたのだと痛感させられる。玉陵で第二尚氏の墓もたずねた。ここには歴代の王が眠る。琉球の安寧を祈願した。

沖縄県立博物館に初めて行った。ここには前から見たかった、「万国津梁の鐘」がある。琉球東シナ海の架け橋であったことを実感させられる。傍からは熱心に展示を見ていたようで、係員の方に声を掛けられ、様々なお話を伺った。沖縄の昔から、最近に至るまでの様々な問題についてであった。眼から鱗だったのは、沖縄の標準時の問題。私は日の出と日没の時間が東京より一時間遅いことから、生活の問題として標準時を遅くした方が良いと思っている。係員の方が仰るには、東京より一時間遅くすることで、沖縄の証券会社が東京より遅くまで取引できる。これは中国と同じ時間にすることで、経済的メリットが大きいとのこと。政治的な問題で標準時をずらせないのはわかるが、何たる皮肉だろう。共産圏を忌避することで、資本主義を放棄しているのである。係員の方は沖縄からの見方を教えて下さる。私は関東の見方で物を見ているので、知らないことも多い。それでも一致したのは、沖縄は東京より福建の方が近いため、嫌でも中国との関係は考えていかなくてはならないこと。それは中国の政治体制がどうとか、好き嫌い以前の、地理的宿命である。

後半は父と恩納村のリゾートホテルに宿泊した。ムーンビーチは1975年開業で、沖縄では一番の老舗。改装もしているが、残すべきところは残すことで、雰囲気の良い空間になっている。建設工事は國場組が担っているが、ここまで頑丈な建物を、昔の國場組は造れたのだと、國場組を見直してしまった。敷地内は自然にあふれ、リラックスできる。自然と共生する観光産業の重要性を見た気がした。海は日が差すと、この時期でも最高に美しい。海辺にいると、一年の心の澱も消えていく。

那覇空港へ向かう帰り道、嘉手納基地を見渡せる道の駅に寄った。広大な嘉手納基地で、軍用機が轟音を立てて訓練をしている。これが沖縄の現実だと考えると、心が重くなる。米軍の是非や軍事バランス以前に、住民の環境が悪すぎる。基地があることによる莫大な遺失利益を考えるまでもなく、人権の問題である。次に中城城にも寄った。ここは眺めがよく、ここに城を築いたのもよくわかる。神の島である久高島も拝めた。だが普天間所属の軍用機が頭上を頻繁に通り過ぎる。私の家の近くにも米軍基地はあり、騒音問題は他人ごとではない。しかし沖縄は次元が違う。あまりにもうるさすぎる。人権の問題として、どうすべきか考えていかなくてはならないようだ。

最近の沖縄は観光客が多い。オーバーツーリズムの問題も顕在化している。以前は日本人と、中国人の団体が多かった。最近は欧米のみならず、韓国や中国、台湾からの個人観光客が多い。若年の日本人も顕著に多くなった。3月は大学生くらいの人々が多く訪れている。余談だが、私は外国の方に、写真を撮ってくれと頼まれることが多い。今回も2件あった。それだけ多くの人々が沖縄に来るようになり、うれしくもあるが、同時に人が多すぎて不便を感じることもある。

様々書いたが、万座毛のように、環境保護料を徴収すること多くなったりと、沖縄も変わってきている。環境保護をしつつ、沖縄を楽しむ工夫が必要である。今回は私の調子も安定していて、大いに楽しめた。次回沖縄島へ行く時期は未定だが、私には欠かせない場所のようだ。

沼野雄司 『音楽学への招待』

沼野雄司 2022  『音楽学への招待』  東京:春秋社

「音楽の入門書でおすすめはありませんか?」 これは私が、音楽が専門ではない方々から、幾度となく聞かれたことである。この問いを投げかけられる度に、回答に窮する羽目になった。相手が何を求めているのか、毎度わからない。音楽の歴史なのか、美学なのか、あるいは音楽理論なのか。相手の音楽のバックグラウンドによっても変わる。その度に毎回違う本をおすすめしていたと記憶している。数年前から、単に音楽全般については、ニコラス・クックの『Music』が最適だと、私の中で結論がでているし、今もそう思っている。数年前に日本語訳も出たため、読むのも容易。

閑話休題。上記の書誌情報の本を読了した。沼野による「音楽学入門」が繰り広げられる。この本はまさに「音楽学入門」であり、高校生や、学部1年生が読むべき内容だろう。これから音楽学を学ぶor学びたい人にはうってつけ。筆者も断っているとおり、基本は音楽史学に軸足を置きながら、様々なアプローチを試みている。私は音楽学を学ぶには、何より音楽史学は嫌でもある程度やらなくてはならないと思っている。その意味で、基礎的な修養には丁度良い本だと言える。まあ学部生の私の戯言はどうでもいいのだが。

沼野による多彩な論が楽しめる一冊。あらゆる人におすすめできる本であることは間違いない。最初の問いに対する答えとして、この本の方が、人によっては適切かもしれない。