那覇に来ている。全部で5日間滞在し、明日帰るが、沖縄は観光客で大混雑であった。
最初の2日間は父も一緒で、南部を中心に名所へ行った。知念岬から見た海はいつも見事である。百名ビーチで海を見ていると気が休まる。玉泉洞の鍾乳洞は立派であった。南部は名所が多いため、どこに行くか考えなくてはいけない。
残り3日間は一人で那覇だけ。理由は私が車を運転できないからである。ゆいレールの範囲内で移動した。しかしここ半月私は調子が悪く、胃腸がダメでやる気が全然出てこない。行けるところだけに絞って行動。
国際通りに宿を取ったが、あまりにも人が多すぎて閉口。私は人混みが嫌いである。やはり行きたいのは首里城であったので、首里に行ってきた。首里の町は緑がふんだんにあり、景観に配慮しているため、私には楽しい町である。心が和んだため、やはりこういった町が見たかったのだろう。
首里城は現在再建中。大きな覆いがかけられて、3年後の完成に向けて邁進中。それでも見られるところは見てきた。火災の展示は正視に耐えるものではなく、泣きそうになる始末であった。首里城は沖縄が苦難の歴史を乗り越えようとする象徴なのである。これが焼けたのはあまりに惨い。私たち本土の人間は沖縄に不都合なものを押し付ている。沖縄戦でも我々の先人は沖縄からろくに住民の避難計画を立てなかった。それがあの残酷な結果につながっている。我々は沖縄の方々を捨て石にしたことを忘れてはいけないのである。今も沖縄では我が物顔で米軍機が飛行している。今日もF22ラプターとオスプレイを見た。民間機は理想的な飛行経路を使えない。これが沖縄の現実である。
閑話休題。首里城で様々考えを巡らしたが、過去の記憶も蘇る。焼けてしまった鎖之間はお茶とお菓子が500円で食べられる場所であった。今回行ったら別の場所に復活していた。そこには寄らなかったが、最近その菓子を作っている菓子店は、新垣カミ菓子店であることを知った。そのため新垣カミ菓子店に足を運んだ。儀保駅の近くにある工場兼お店だが、お菓子をサービスで食べさせてくれたりと気持ちに感謝である。これが沖縄の優しさである。そこで首里城で出していたものを揃えた。胃が悪いため首里城で食べるのは諦めた菓子だが、家で首里城を再現する。菓子の代金の一部は再建工事に寄付されるため、これが私なりの首里城と沖縄への応援である。
ちなみに有名な新垣菓子店のちんすこう(黄色のパッケージ)があるが、あれは新垣カミ菓子店の弟分らしい。暖簾分けだという話で、大元は宮廷料理長であった新垣という人物に収斂する。それにより、本家新垣菓子店、新垣カミ菓子店、新垣菓子店に分化した。微妙に味が違う菓子の数々なため、試してみると面白い。
再び閑話休題。那覇市内は波の上ビーチや孔子廟を訪れた。久米孔子廟は最高裁まで争った訴訟の原因である。この久米のあたりは福建のあたりから移り住んだ方々による中国人街であった。そのため孔子廟もある。波の上ビーチは大して良い場所ではないが、海はそれなりに綺麗で、これで充分な人には良い場所かもしれない。こういったゆったりした地域が私には嬉しい。
国際通りや那覇空港は現在観光客で溢れている。大学生が春休みなため、若者の集団が街に多い。外国人観光客も増えている。それは良いことだが、店や施設において、対応する人員が足らない事案が散見される。コロナ禍で離職が相次ぎ、結果的にコロナ前の7割くらいの人員ではないだろうか。このままではパンクしてしまうのではないかと懸念している。沖縄は10年前より観光客が格段に増え(特に若年層と外国人)、次のフェーズに入っている。しかし人員不足で、沖縄はこのビジネスチャンスを逃してしまわないか、心配である。もう私の知っている昔の程よく観光地化された沖縄ではないのである。
しかし私の食べた沖縄そばはどれもハイレベルで、競争が激しいのがよくわかる。最近は客の取り合いだけでなく、ラーメンというライバルもある。居酒屋で沖縄料理を食べながら泡盛を飲んだりしたが(無論少し)、これは良いものだなと実感した。
明日は知り合いの経営するレストランへ。胃腸の調子が良くないため大丈夫か不安だが、おそらく大丈夫だろう。久しぶりにあの料理が食べられるのは嬉しいものだ。夜の飛行機で横浜に帰る。