KeiYamamotoの雑記

考えたことや見て聴いたことを綴ります

鶴見の沖縄タウン

沖縄から帰ってきてからというもの、気持ちが沈んで奮い立たない日々が続いていた。沖縄から帰るといつもこうなるのだが、今年は気をもむことが多くて心身共に疲れているせいか、例年より悪化している。こうなると沖縄の文物以外受け付けなくなるため、しばらくは沖縄由来のものに触れながら、学校の後期授業の開始を迎えることになりそうだ。

普段通り西洋芸術音楽を演奏するコンサートに行ったりしたが、冒頭からどんどん気落ちするばかりで駄目であった。演奏は決して悪いわけではないが、先月から母親が体調を崩して、私が世話をしている場面もあるため、私に余力がない。

他の芸術とは違い、西洋芸術音楽に限らず、西洋芸術は気力が求められる芸術のようだ。高度に体系化され、それに絶えず見直しの声が上がる。そして見る者聴く者には時間と教養と体力気力を要求する。それは決して悪いわけではなく、西洋芸術の特徴なのであろう。しかし今の私には重荷になってしまっている。こうなってしまった以上はしばらく離れるしかない。時間が経過すれば気持ちも変わり、また以前同様の向き合いができると考えている。しばらくの辛抱である。

嫌にならないものの一つに沖縄音楽がある。これは民族音楽学の領域だが、民族音楽学に全く詳しくないことにより、素人の向き合い方しかできない。しかも西洋芸術音楽とは違い、いつも触れているわけではない。それが功を奏して私には気楽に関われる領域になっている。

沖縄の文物は私の気持ちを明るくしてくれる。悩みも大したことないと感じさせてくれる世界である。それを期待して鶴見に足を運んだ。

鶴見から25分は歩くが、そこには沖縄の方々が移り住んでできた沖縄タウンがある。街並みは鶴見のそれとは変わらないのだが、よく観察すると、どの店にも朝ドラのポスターが貼ってある。酒屋には泡盛が置かれ、街角には沖縄料理屋が見受けられる。

お目当ての沖縄料理屋でソーキそばを食べ、沖縄物産店で買いたいだけ買い物をしたら気持ちがとりあえず晴れ晴れとした。これはおそらく一時的なものであろうが、この状態が平常である状況に復帰できるように、なんとか気楽に生活しておきたいと思う。

日々の生活に余裕が減って暗い気持ちになっており、それに対する自覚が薄かったが、もう少し自分を労わることに積極的になっても良さそうだ。