KeiYamamotoの雑記

考えたことや見て聴いたことを綴ります

石垣島

15年ぶりの石垣島は様変わりしており、浦島太郎のような気分であった。

8/27-9/3まで沖縄を訪問した。最初の2日間は那覇に一人で滞在し、残りは石垣島で家族と過ごした。幸いにも晴天に恵まれ、穏やかに過ごすことができた。

那覇に到着して、最初に向かったのは首里城。3月より工事は進展し、瓦の設置作業が行われていた。ここから眺める那覇の景色は見事。道中外国の方に守礼門までの道を聞かれた。昔より外国人観光客が増加し、このような場面も増えた。翌日は儀保の菓子店に寄り、琉球菓子を購入。最近は予約をしないと買うことができない店もある。そのような場面で、昔と勝手が違うことに戸惑う。

相変わらず波の上ビーチは大盛況で、海水浴客から地元民まで、多様な人々がいる。しかしその隣にある対馬丸記念館は静か。昨年抱いた恐怖と罪悪感から入館できず、入り口で拝むだけ。その足で久米の孔子廟を訪れた。ここで学業安全を祈願するのは那覇での恒例行事。

JTA那覇を離れ、石垣へ。途中、宮古島が美しく見えた。15年ぶりに石垣へ来たが、空港は新空港に変わり、多くの人でにぎわっていた。旧空港はその面影すら無かった。到着後に白保でシュノーケルツアーに参加。ここはアオサンゴが群生し、穏やかなリーフ内に熱帯魚が数えきれないほどいる。竜宮城がこの世にあるとすれば、このような場所なのだろう。しかし海水温は高く、サンゴは一部白化していた。聞いたところでは白化は止まっているそうだが、気候変動による懸念点を目の当たりにした。

具志堅用高記念館も見学した。盗難被害のせいであまり展示品は多くないが、チャンピョンベルトなど、いかに具志堅が一流の選手であったかをまざまざと感じ取れた。タレントとしての具志堅しか知らない身としては新鮮。館内では具志堅の試合映像が流れており、引き込まれてついつい見入ってしまった。

親と合流した後は、石垣島をゆっくり満喫した。15年ぶりに行ったステーキ屋だけは、何も変わっていなかった。同様にとある居酒屋にも行ったが、注文はQRコードを読み取るシステムになっており、会計にはクレジットカードも使用可能(昔は現金のみ)。店構えも内装も同じだが、内実は変貌しており、戸惑ってしまった。ここではフーチャンプルが美味しいことに感銘を受けた。土産物店では、おしゃれなお土産が増え、民芸品は少ない。観光地化が進んだことは明白。

竹富島も多くの観光客が押し寄せていた。入島税の議論がなされているくらい、観光客が来ている。海が恐ろしく美しいのは変わらず。コンドイ浜でのんびりして、カイジ浜で星砂を探す。石垣島から高速船で15分の場所にあるが、それでも景観が維持されているのは、多くの関係者の努力によるのだろう。

最終日は石垣島をドライブ。川平湾の美しさ、米原のヤエヤマヤシの見事な群生は変わらず。しかしどちらも観光地化著しく、川平湾にはぴかぴかの駐車場が整備されるなど、利便性が向上していた。その足で空港に向かい、直行便で羽田へ。昔は那覇経由だったが、今ではノンストップで帰れる。

近年、沖縄は外国のクルーズ客船が入港し、何千人が一度に入域する。那覇では週1で寄港しているとのこと。那覇で大きな客船を見たが、翌日石垣でも同じ船を見かけた。石垣で話を聞くと、週6で客船が来ると言われ驚いた。繁華街には観光客があふれ、夕飯時にはタクシーが捕まらない。飲食店も予約無しでは入れない(昔は人気の居酒屋ですら、予約無しでも何も問題なかった)。夕飯時には、予約の無い方が入店を断られる場面を何度も見た。先島はオーバーツーリズムの問題が顕在化しているという噂は知っていたが、予想をはるかに超えていた。このままでは観光産業がパンクするのではないかと懸念も抱いた。それでも、環境を維持するための努力は端々で感じられた。

感じたことは様々あったが、先島は楽しい場所であった。それは昔と何も変わらない。石垣がいかに素晴らしい場所であったかをしみじみと感じる旅行になった。