KeiYamamotoの雑記

考えたことや見て聴いたことを綴ります

今年のコンサートで印象深かったこと

今年は45公演へ足を運んだ。コロナ禍以前のようにコンサートに活気が戻り、4月以降は海外からも様々なアーティストが入国制限に影響されることなく来日した。私は1~3月上旬にコロナ禍を避けるために外出しないようにしていた。さらに6月以降体調不良により、気持ちが乗らずに9月までコンサート通いを縮小していた。

そんな中で印象深かったのを時系列で振り返る。

まずは東京春音楽祭2022。3/18、19にムーティーの指揮する東京春祭オーケストラの演奏した極上のモーツァルトとおどろおどろしいシューベルトは忘れられない。18日の冒頭で演説したムーティであったが、世界情勢への懸念を示す内容で、それに基づくシューベルトはあまりに暗く負の力に満ちていって、聴いていて恐ろしかった。

3/30のローエングリン、ヤノフスキの指揮するN響は辛口で、切れの良い舞台であった。

4/3の新国「ばらの騎士」、アンネッテ・ダッシュの独り舞台のような趣であったが、ゲッツェルの指揮する東フィルの爛熟した音が美しい舞台とマッチしていた。

5/14は神奈川フィルと日フィルの梯子。阪率いる神奈川フィルは推進力のある明るいシューベルトを演奏していた。日フィルはカーチュン・ウォン。ウォンの明快な棒により、スラブ的なほの暗さとはまた違う。明晰なドヴォルザークであった。

5/15はN響。ヤノフスキは珍しく熱く歌わせる傾向にあり、いつものザッハ・リヒの傾向は鳴りを潜めていた。こんなグレートはなかなか聴けない。

6/3はサントリー琉球交響楽団の東京公演。後半の「沖縄交響歳時記」は昨年の方が好演であったが、2年連続で沖縄のアイデンティティを示すことに成功したのは、東京へのアンチテーゼとして喜ばしい。

6/11のシティフィルは飯守泰次郎によるシューマン。前回よりは覇気がない演奏であったが、シューマンの曲が持つ美しさが可憐に表れていた。

7/4になると久しぶりの海外オーケストラ、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が来日。これが特大ホームランであった。ロトによって、HIPのスタイルを習得したオーケストラによる爽快なアンサンブルが披露された。

8/26のサイトウキネンでは、デュトワ指揮による春の祭典が演奏された。これ以上実演で聴かなくていいかなと思うくらいに鮮やかなアンサンブルであった。

ヴァイオリンで印象深かったのが9/3の都響。イブラギモヴァの独奏でブラームスの協奏曲が演奏されたが、堂々とした馥郁たるブラームスが聴けた。

10/5は最悪なフライングブラボーが起きてしまったブルックナー交響曲第7番。あれは後味が悪い。ラトルの指揮するロンドン響は精緻なアンサンブルで透明感のあるシベリウスを具現化した。ブルックナーは超名演であったため、今年の海外オーケストラで一番感銘を受けた。

10/6に再び琉球交響楽団の東京公演。アジア・オーケストラウィークの一環であったため、舞踊が出てくるなどの演出があったが、地域性を示すためには良い企画であったと思った。しかしラヴェルチャイコフスキーもきちんとできるということまで示していた。

ここからがブロムシュテット月間。インタビューでブロムシュテットが生命への告別であると語ったマーラーがトップバッターになった。怪我を克服して来日し、すさまじい音響で圧巻のマーラーを10/15、16で演奏した。これはN響史上最高の名演であったように思う。

打って変わって10/21、22にはシューベルトブロムシュテットはふくよかなシューベルトを披露し、聴衆を和やかにしていた。ブロムシュテットがやりたい音楽というのはこんな音楽なのではないかと感じた。

どん尻に控えしグリーグとニールセン。10/26の初日はイマイチであったが、27日は音がサントリーホールを包み込むように充満した。来年の来日が楽しみである。

11/5はスダーン指揮東響。シューマンを聴いていると、明るく活力ある音楽が聞こえてきた。このような「普通」の演奏会がいかに大事かということを思い知らされた。

11/8、9、10で五嶋とティボーデによるベートーヴェンアポロンディオニュソスが行き来する室内楽の手本のような三日間であった。

今年はボストン響を8年ぶりに聴いた。ネルソンス率いるボストン響は圧巻のショスタコーヴィチを披露し、内田とノーブルなベートーヴェンを紡いだ。

11/22に神奈川県立音楽堂にてムローヴァのリサイタル。ピリオド楽器とモダン楽器を持ち替えながら演奏したが、その対比が面白いものであった。 

待望のピレシュリサイタルが11/29にあった。珠玉のシューベルトが記憶に新しい。ピアノとはこう弾くものだという強いメッセージを感じる、立派なリサイタルであった。

12/8にはティーレマン指揮SKBのブラームス。いささか古風な演奏であったが、それを聴ける珍しい機会であったようだ。

ブロムシュテットムーティも暗く生命力に満ちた音楽(ブロムシュテットマーラーで、ムーティシューベルトで)聴衆に明確なメッセージを発信した。そのメッセージは音楽の力を問うものであり、世界平和を望む、強い強いメッセージであった。

今年はコロナ禍の前のような盛況であったが、世界情勢から一抹の苦しみから逃れられない世界であった。来年はもう少し状況が好転していることを願うばかりである。